年月日



年寄名跡



力士



千賀ノ浦 株の歴史

から~まで年寄り名跡保有者所属一門所有者
大正10年1月あと(KA)~大正11年12月(HB)千賀ノ浦[8] 五郎次関脇 綾川 五郎次入間川なし
大正12年1月(HB)~昭和2年12月(HS)千賀ノ浦[8] 五郎次関脇 綾川 五郎次千賀ノ浦なし
昭和3年1月(HS)~昭和8年2月16日(PA)千賀ノ浦[8] 五郎次関脇 綾川 五郎次出羽海なし
昭和8年2月17日(OO)~昭和10年12月(OO)千賀ノ浦欠員関脇 綾川 五郎次
昭和11年1月(KA)~昭和15年1月ながら(RC)千賀ノ浦[9] 五郎次関脇 綾川 五郎次出羽海なし
昭和15年1月ながら(OO)~昭和15年1月あと(OO)千賀ノ浦欠員関脇 綾川 五郎次
昭和15年1月あと(KA)~昭和16年4月(HB)千賀ノ浦[10] 邦七郎関脇 幡瀬川 邦七郎伊勢ヶ濱なし関脇 綾川 五郎次
昭和16年5月(HB)~昭和18年1月あと(HS)千賀ノ浦[10] 邦七郎関脇 幡瀬川 邦七郎千賀ノ浦なし関脇 綾川 五郎次
昭和18年1月(HS)~昭和18年5月あと(KC)千賀ノ浦[10] 邦七郎関脇 幡瀬川 邦七郎伊勢ヶ濱なし関脇 綾川 五郎次
昭和18年5月あと(KA)~昭和19年1月ながら(RC)千賀ノ浦[11] 幸男前4 大和錦 幸男出羽海なし関脇 綾川 五郎次
昭和19年1月ながら(OO)~昭和20年6月あと(OO)千賀ノ浦欠員関脇 綾川 五郎次
昭和20年6月あと(KA)~昭和30年8月(KS)千賀ノ浦[12] 五郎次関脇 綾昇 竹藏出羽海出羽海
昭和30年9月(KS)~昭和37年8月26日(RM)千賀ノ浦[13] 弥太郎前1 外ヶ濱 弥太郎出羽海出羽海
昭和37年8月27日(OO)~昭和38年3月あと(OO)千賀ノ浦欠員前1 外ヶ濱 弥太郎
昭和38年3月あと(KC)~昭和40年2月(KC)千賀ノ浦[14] 充宏前1 大昇 充宏春日山立浪前1 外ヶ濱 弥太郎
昭和40年3月(OO)~昭和41年2月1日(OO)千賀ノ浦欠員前1 外ヶ濱 弥太郎
昭和41年2月2日(KA)~昭和52年3月28日(PA)千賀ノ浦[15] 穏光大関 栃光 正之春日野出羽海
昭和52年3月29日(OO)~昭和59年5月16日(OO)千賀ノ浦欠員大関 栃光 正之
昭和59年5月17日(KA)~昭和60年2月20日(KC)千賀ノ浦[16] 国由小結 黒瀬川 國行伊勢ヶ濱立浪大関 栃光 正之
昭和60年2月21日(OO)~昭和62年9月13日(OO)千賀ノ浦欠員大関 栃光 正之
昭和62年9月14日(KC)~昭和63年1月25日(KC)千賀ノ浦[17] 耕三郎小結 若獅子 茂憲二子山二所ノ関大関 栃光 正之
昭和63年1月26日(KC)~平成元年7月12日(KC)千賀ノ浦[18] 彰俊前4 吉の谷 彰俊出羽海出羽海大関 栃光 正之
平成元年7月13日(OO)~平成元年7月15日(OO)千賀ノ浦欠員大関 栃光 正之
平成元年7月16日(KA)~平成16年9月26日(HB)千賀ノ浦[19] 靖仁関脇 舛田山 靖仁春日野出羽海
平成16年9月27日(HB)~平成28年4月7日(HT)千賀ノ浦[19] 靖仁関脇 舛田山 靖仁千賀ノ浦出羽海
平成28年4月8日(HT)~平成28年5月7日(CI)千賀ノ浦[20] 太一小結 隆三杉 太一千賀ノ浦出羽海
平成28年5月8日(CI)~平成30年9月20日(CI)千賀ノ浦[20] 太一小結 隆三杉 太一千賀ノ浦貴乃花
平成30年9月21日(CI)~令和2年11月25日(KS)千賀ノ浦[20] 太一小結 隆三杉 太一千賀ノ浦二所ノ関
令和2年11月26日(KS)~千賀ノ浦[21] 靖仁関脇 舛田山 靖仁常盤山二所ノ関

CIChange of ichimon
HBHeya branchout
HSHeya shutdown
HTHeya takeover (new shisho picks up heya name)
KAKabu assumed
KCKabu changed
KSKabu switched
OOVacant
PAPassed away
RCRetirement Close of business (earlier retirement)
RMMandatory retirement


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